金澤詩人 NO12
66/70
66 近岡 礼 上庄川 わたしのまちはやさしい かみしょうがわというかわは やさしさをだいひょうする ちいさな舟がきしべにならび 川面はきらきらひかっている 土手にはふるいさくらなみきがつづき わすれさられたようにだれもこなくて そのさみしい風景と さわやかなかぜさえあれば わたしはなみだがでそうになるほどしあわせになる わたしが痛手をこうむったとき たすけてくれた恩人の妻は ひそかにこのかわにみをなげた 生も死もとけあって ひくいやまあいから漁港にながれてくるかみしょうがわ わたしをいやしてやまない 白藤 うえきやがきている てらのけいだいにあるしらふじのていれに うえきやがきてから しらふじの花がおとろえた てらのシンボルなのに このてらがここにうつるまえからつづいているしらふじ ちちがせんそうにいった五月 しらふきがさいていた バンザイとみおくられ ちちはうたをのこした アオウナバラワガコエユクト告ラセドモコラハウツツニエム ゾカナキシ 姉は六歳と四歳 わたしは一歳 ちちはあかがみで海軍にとられた 伯母が離縁しててらにもどっていた わたしよりひとまわりうえのいとこにあたるひとりむすこをつれて いとこはおもいでばなしをしてくれた ちちがせんししてまもなくのころ しらふじがさいていたとき いとこはげんかんに「ただいま」というこえをきいた
元のページ
../index.html#66