金澤詩人 NO12
54/70
54 母はいつまでも娘にすぎない それがわかった日 幼い僕を強く抱きしめた若い母 母は封筒を投函したのか それとも何ごともなく忘れ ゴミ箱に捨ててしまったのか ときに残されたものは 母のにおいではなく 数十年も咲き続けた水仙のかおり 主をなくした水仙が 形見のように今年も咲いてくれた お母さん 僕の手箱の中にも あなた宛てに届ける 水仙の便りが待っている ゴム靴 誰もが金田君のことを忘れたと言う この国が負け、その爆発が 金田さんに覆いかぶさった おまえは日本人びいきだったと 同じ半島の人たちから 好き勝手に殴られても 金田さんは反抗もしなかったと 洗濯ものを干すとき 奥さんが小さな声で歌う朝鮮の唄 金田君と乾いた風の中で聞いた 小学生の僕に 金田さんも一緒になって歌うとき しあわせな顔があった 廃品回収でリヤカーをひく 金田さんは何も語らず 訛りのある「ありがとう」が 路地裏から聞えてきた 破れた運動靴から出た足の指を見て 金田君が大笑いした翌日 僕の家の玄関先に 真新しいゴム靴があった 幾度も母にねだった運動靴ではなかったが それを履いて学校に行ったが 金田君の席は椅子が座っていた 金田君の一家は 半島に帰ったと先生は言ったが この国のどこから出て その先は 半島の北か南か それとも東か西か 父にも母にも聞いたが ただ忘れろと大きな声で怒った
元のページ
../index.html#54