金澤詩人 NO12
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52 一滴一滴を確かに見ている その記憶を捨てずに残し 背を伸ばし立ち続けるから 滴は透明なのかもしれない 僕の目にしたそれらの光景が 忘れてしまった僕自身のものだった としても遠い過去や遥かな未来に だが 滴は乾きやすい 僕の街の アスファルトだらけの 空き地も 鳥のさえずりもない 乾く空間ばかりではなおさらだ 滴が風のようにひっそりと 僕のまなざしのなかで 乾いてしまわないように 一滴一滴 赤子を抱くように 見つめなくてはいけない 滴が何をねがい 何をあがなって 一滴のつつましい滴となり 僕たちのこの体から零れるのか それが本当にわかるまで 僕は祈りの時をもつ 親から子へと引きつぐ秘事に 悲しみにくれる命に じっと にぎりめし 家で死にたい 終末を知る母が帰ってきた 北風がさまよう夕暮れ 裏の畑の枯れ草たちがざわめく ご主人さまの帰還を 仏間の畳がほんのりと温む もう喉をとおる食べ物はない 頬が険しい山のように尖り 眼窩は深く白い目脂が固まり 面影をさがす僕に 内臓のにおいが吹きかかる 乾いた唇が微動する 下の汚水がしみついた下着が 僕を呼ぶ 細木の手をふり かすれた母ではない声が 「すみません すみません」 他人様の僕がいるらしい 白い下毛がうっすら蛍光灯に光る 朝がまだやってこない台所 寝たきりの母が立っている 「今日は遠足だよね」 数えきれないご飯粒が 手にも寝まきにもこびりつく

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