金澤詩人 NO12
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50 後藤 順 はるか湖の空 もう人の気配のない山襞に 風だけが走り抜ける途が続く 人のはてない欲求に かたち作られた徳山のダム湖 村はずれの井戸端で 女たちの噂話に耳だてた椎が さざ波に葉をそよがせ 石造りの鳥居が 水の中でゆっくり揺れている ひとの吐息を見てきた空は ちぢんだり ふくらんだりしている 湖底では男が畑で鋤をふるい 女はその手伝いにいそしみ 子どもたちは畦道で 乾いたにぎりめしを頬ばり 老婆が赤子をあやし ヤギが雑草をはんでいる ときがある午後のまま止まる 湖の岸辺からのぞき込む 僕たちは仮の時空にいて 彼らこそ永遠に生きつづけていると 納得してしまう僕がいる 僕たちの暮らしも 日々に生がふくらみ 死の方へちぢむ 闇が湖の山襞を深々と隠す 僕たちは仮死の眠りから 朝に目覚める歓びに 僥倖の匂いがする命を知る 無量大数をすぎた空は ちぢんだり ふくらんだりしている 昼の月 影法師の背に摑まった この世に生まれるはずだった 僕の子を連れて 雑草におおわれた公園まで 歩くけいこみたいに散歩する 空には昼の月がついてくる なにかにささえられているわけでも なにかにつるされているわけでもない こんなにあかるいのに

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