金澤詩人 NO12
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41 生れついて何処で暮らし どんな生活をするのか どんな言葉を話し なにを生業とするのか これは自己決定権の世界であるはずで 侵害されない 侵害できない 恋愛のようなものなのだが 突然国家権力が見捨てた 樺太のあの大きな頂きでの 山河海での狩猟生活に見切りをつけろと宣告されて 強制移住して来た土地で 百姓に慣らされて 和人に雇用されて 使い捨ての交換部品になれと命じられた このわたしがなんの変哲もない散歩を楽しんだように なんの変哲もない自己決定権の世界を 踏みにじられた 捻じ曲げられたのが咲子たちであり 樺太アイヌの間違いのない連鎖ビトとしての 咲子の後頭部 開店したばかりの 店には漁川(いざりがわ)から渡る遡上の風が入っていて 釜戸からはあの極太の蕎麦が上がる 湯気と天麩羅を挙げる鍋が海老を弾いていた 朝方わたしの携帯バッグに入りこんできた 咲子は彼岸前にこの恵庭に 透き通る風と共にやって来て 今日は蕎麦湯の最期の一滴まで飲み干した わたしの咽頭反射にくっついて 一緒に喉に入って来て わたしの喉越しに付き添う仕草をして 首筋に流れ寄る 鮭の肉質の色をした風の虜になって 大もり蕎麦を噛み締めた その人なつっこい目の輝きが 泥だらけで乾燥して板のように固まった 毛髪から繰り出されてくるとき 心底うなじを撫でてあげたくなるのだ ブドウの房に似ている きみの後頭部はいまだに裂けて 倒木のような佇まいで 出血をしていないのが幽霊であるがゆえだが 出血していないからさらに 傷口はむき出しで 処置ができない そのままの創面を見ているしかない だが創面を他の客は観ることができないから その分その瞬間がふたりだけの秘密のようにも思えて 咲子がわたしの喉越しに一緒に
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