金澤詩人 NO12
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34 鶯浦るか 犬と羅針盤 犬は犬であって犬として 人が人でない一日がある 苛烈な労働の明けた一日 夜になって起き犬と出る てぶらで犬に従い歩く道 外灯の下犬のゆくほうへ 踏み切りをこえ家々の裏 神社の草の露に足濡らし さびれた町の酒場の路地 厨房玄関木口からもれる 夕餉の匂いテレビの音が 暗い細道をみたす寂しさ 犬は濡れた鼻で嗅ぎ覗き いきどまりの袋小路ぬけ 運河から河口の橋場への 広い道に出て早足になる 蔵の仕事場への通い道を 犬はひたむきにたどって 闇のなかパズルを解いた 海鳴りの防波堤のきわの 混凝土の階段を昇り扉へ 犬の羅針盤は世界の匂い 中の羅針盤はs四一年製 極地の航海をしたやつだ 鍵はないんだはいれない ここで引き返すのに犬は なぜもいわず疑りもせず 人犬一体の帰り道をゆく きのう小さな石蟹が中に いた捕まえて防波堤越え 海へと投げたら転んだと 話してきかせたいが犬に 今だけあり過去未来なく ああ犬に今だけあり人は 過去と未来を気にかけて 今をおりおりに捨て去り 支配と隷属と闘いと平和 考えあぐねるうちに犬が 家路さす道は辻辻に広く 犬は着くとすぐ眠りだす
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