金澤詩人 NO12
33/70

33 江口久路 ヨルノキョウシツ 明かりの消えた保育所の二階の窓に 娘の由紀らしい小さな人影が揺れている 由紀はそこから 箒を持った手をせいいっぱい伸ばし 外壁にへばりついた蝉を捕ろうとしていた 真っ暗な階段を急いで登り 年長組の二階の教室へ行くと そこには由紀が 熱気に蒸れたような顔をして 一人で私の帰りを待っていた 「せんせいが おへやでじっとしてなさいっていったから ゆき、ずっとこのまどから せみをとってたんだょ」 自慢げに顔を上げて笑い 娘は 小さな手の中の虫を見せるのだった 由紀の汗だけが ほのかに光って見える 暗い部屋の中で ジジジー と さびしい蝉の羽音だけが 静かに響いた こんなところにいたのだ 娘はたったひとりで 私を待っていた 誰もやってくることのない さびしい夜の教室で 由紀はたったひとり 私を待ち続けていた 由紀… そんな娘も いま生きていれば 六歳になる

元のページ  ../index.html#33

このブックを見る