金澤詩人 NO12
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16 青柳理沙 雪の記憶 私たちは、父の最期の場所に帰って来た。父の記憶は私の中にしかない。私の中の記憶が無くなる前にと降り立った土浦駅に、六十年前のあの頃の景色は探しようもないのだが、霞ヶ浦を渡って吹く風の冷たさは、身体の何処かが憶えている。 三才の弟と三カ月の妹は、其々親戚に預けられていた。土浦での父は殆んど入院していて、父の具合が悪くなると、小学一年生の私は大家さんの家でご飯を食べ、お風呂に入れてもらい、泊まらせて頂いた。一度、お正月に父が退院してきた。朝、雨戸を開けると一面の銀世界。父がお盆の上で雪ウサギを作ってくれた。雪ウサギの赤い眼は庭の隅の南天の実で、朝日にキラキラ輝いていた。 父が入院していた国立霞ヶ浦病院は国立霞ヶ浦センターと名前が変り、病院入口へと続く緩やかな坂はあるのだが、すぐ向かい側にあった小学校が遠くに移動して、小学校の横には高速道路が走り、すっかり様子が違う。病院と小学校の間の広い一本道の右手に中学校、左手に澱粉工場、その裏が大家さんの家で、広い庭の片隅の一軒家に私たちは住んでいた。六十年前の様子を知る人は見つからない。私たちは中学校を目指し畦道に咲く花の名前を言い合いながら歩く。道がL字に曲がり、その先を曲がった時、私の前に見覚えのある懐かしい真っ直ぐに続く一本道が現われた。右手のだだっ広い敷地のJR貨物置場の門の入口に張り付けられたタイルに「下高津小学校旧校舎跡地創立130周年記念」。左手に緩やかな坂があり、坂の上には古いどっしりとした石の門が。門柱には掠れてはいるが「国立霞ヶ浦病院」の文字が読める。門の左には守衛さんが一人だけ入れる小屋もそのまま。病院の建物は取り払われ手入れをされない儘の庭には桜の木が、あっ、崩れかけた藤棚も見える。 私は学校が終わると、小学校の向かいの病院の門から母が出て来るのを、今か今かと待っていた。ある日、入院していたお姉さんが私を手招きして、自分の病室で遊んでくれた。そのことを知った父は、いろいろな病気の人がいる病室に私を連れて行ったことを激怒した。父から叱責されたお姉さんは、藤棚の下で泣いていた。それ以来、私は小学校の庭で母を待ち、木造校舎の壁に掛った時計が五時になると一人で大家さんの家に帰る。そんな話をしながら歩いていると、晴れた空からふわふわとやわらかい雪が降りて来た。私たちは六十年ぶりに土浦の空を見上げた。 あの日も雪が降ってきました五時になっても病院の門から出てこない母を思いながら降り続く雪の道を歩いていました夕暮れの一本道は擦れ違う人もなく雪は私の周りに白い壁を作ります雪の中から靴ではなく黒い足袋を履いた男の人が二人現われて中学校はどこかと尋ねます私は一本道を右に曲がり中学校の体育館まで案内しました 暗転
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